3つのコンセプト
・都市のための芸術祭
この芸術祭は、都市に住む・働く人、都市にいるあなたのための芸術祭です。
なぜ「都市」なのか。
芸術祭は古今東西、世界中で多種多様なかたちで存在しています。そんな数あるなかで、都市でおこなう芸術祭ってどんなものがあったらいいだろう、と考えました。「都市」という、せわしないスピード・膨大な情報量・たくさんの人がいるまちのなかで生きている私たちが、その日々の生活のなかで出会える芸術祭ってありうるだろうか。「旅に行く」「非日常なところへ行く」という方法ではなくても体験できる、都市の芸術祭をつくってみたい。そんなことを考えました。
私たちの都市の生活のなかで、傍らに持っておけるようなもの。ささやかだけれど、つねに近くにあるもの。好きなときにふと取り出せるもの。そんな新しい芸術祭のかたちを目指しています。
・東京・西京の同時開催
東京とは私たちが住むこの現実の都市「東京」のこと、
西京とは空想地図作家・地理人が描く、空想の都市「西京」のことです。
東京は私たちが住んだり訪れたりする現実の場所ですが、西京は私たちの身体で実際に行くことはできません。
しかし、西京はただの妄想の都市ではありません。道や電車の敷かれ方、住民の生活の背景、都市の歴史…あらゆる点において、その成り立ちには理由があります。
西京は、夢の国でも理想郷でも、現実の逃亡先でもありません。ひとつの都市の姿です。今、私たちがいる都市の〝鏡〟のようなものです。もしかしたら西京は、私たちがまだ身体で行ったことがないだけで、どこかの星・どこかの世界には、すでにあるかもしれません。
では、東京はどうでしょうか。
「東京」という都市をつくった人々が過去にどこかにいて、今もこの都市を更新しつづけている人々(東京にいる人々)がいます。けれども、その実体は曖昧で、雑多で、複雑に色んなことが絡み合っていて、イマイチよく分からない。東京で生活していても、東京がどんな都市かなんて、ふだんはあまり考えない。「東京」だって、目に見えないイメージの集合体のようなものか、誰かの空想の末のすがたか、はたまた空気にゆらめく蜃気楼のようなものなのかもしれません。
あるかもしれないし、ないかもしれない。そんな都市と都市を、Fictionで行き来する。
そのとき、どんな都市のすがたが見えてくるでしょうか。
・空想型 -- 無期限と増殖
空想型芸術祭はその名のとおり、「空想で参加する」芸術祭です。
作品は音声だけです。
絵画や彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、イベントなどは一切ありません。
「Fiction」は空想だけなので、会期もありません。音声は1年中・春夏秋冬いつでも体験でき、いつまでも残る予定です。(そのためこの芸術祭では、1日ですべてを体験することをまったくお勧めしていません。)
また、会期無期限のため、音声作品は少しずつ増加していきます。2018年3月20日の開始時点では数個だった音声作品が、何年・何十年と時間をかけて、少しずつ増殖していき、東京・西京の広範囲に置かれていく予定です。
音声はその時々によってつくられます。ですので、2018年に音声が置かれた場所は、東京でも西京でも、10年後・20年後に残っているとは限りません。都市開発・衰退の状況をふくめて、「Fiction」は進んでゆくつもりです。この芸術祭の活動をいつの日か、小さな〝都市のアーカイブ〟(記録)にもしていきたいと考えています。